鯛ラーメン
”矛盾”している、って世の中に関して思う事は多々あるのではないでしょうか。
日本は、明治初期頃までの神仏習合の考え方が消えて、無宗教なのが一般的で、人生苦しい時だけ神社やお寺へ行って神仏へお頼みする、っていうスタイルが普通だとされている風潮があり、何か信仰を持って居る、というと、「新興宗教なんか信仰しているのかなぁ?、アヤシイ人!!距離を置こう、っと。(^_^;)」なんて偏見で観られてしまう。
江戸時代のように、一般的に神仏への信仰が普通に厚かった時代は、”矛盾”というものが物事にはあるんだ、という事を寺子屋などで、道徳として仏教の教えに沿って解いてある内容をも教えてもらえたので、世の中の割り切れない事も察しがついて、大人になるとある程度は分別を持って対処出来たのだと思われます。
現代は、というと、学校でも”矛盾”を詳しく教えていなかったのもあり、私も知らなかったので、諦めが悪く、世の中が”矛盾”だらけだから、どうにかしようと、必死になって何とかしようと奮闘していた時代も過去の長~い間、ありました。
こういう”矛盾”を少なくとも小学生くらいの時までに、教えてもらったりしたら自分の中で腑に落ちて、親がしてくる”矛盾”を早めにすんなり受け入れられたのではなかったかと、後悔すらしています。
本当の意味での”矛盾”を知ったのは、今年なので。
今の中高年の方やその前の方は知らないので、ドツボにハマると、”矛盾”をどうにかしようとして、多くの時間を費やしてしまうかもしれません。現代において、教育者の方がたがぶち当たる問題の部分の一つ”矛盾”は、生徒さんの親御さんにはとうてい理解してもらえないと思われるので、大変ですね。
改めて、”矛盾”を知り考えてみると、生前の母親には矛盾を沢山教わっていましたから、魂レベルの学びを通して説法として解いていくと、真の意味が深い所で理解出来て、とても有難いです。
物質主義の人達からすると、私みたいな学びは絶対にさせられずに、避けて通りたいとされるでしょう。(^_^;)
<新桧るみ>